★関平って?★

中国の歴史書「三国志」、歴史を基にした小説「三国志演義」の登場人物です。

三国のひとつ「蜀」に大きく貢献した関羽の息子(演義では義理の息子)であり、
当人も蜀軍では将軍職に就いていました。




関平 年表

西暦年 年齢 出来事
光和6年 183 5 13 1 関定の二男として河北に生まれる
建安5年 200 4   18 劉備の仲立ちにより関羽の養子となる
建安5年 200 4 18 古城を経て汝南へ移る
建安6年 201 春〜夏   19 曹操に敗れて襄陽に逃れる
          新野に移る
建安13年 208 6   27 博望坡にて夏侯惇に火計をかけ勝利
建安13年 208 秋〜冬   27 曹操に追われて夏口に逃れる
建安13年 208 10   27 樊口に移る
建安13年 208 11 21 27 華容道にて曹操を見逃す
          油江口(のちの公安)に移る
          伯父が荊州南部4郡を攻めるに際して荊州を守備
          劉gの死後、襄陽に移る
建安15年 210 1   29 黄州境にて伯父と孫夫人を追ってきた周瑜を迎撃
建安15年 210 12 3 29 巴丘にて益州に進攻する周瑜の水路を遮断
建安16年 211 12   30 益州進攻の中軍に加わりに葭萌関に駐屯
建安19年 214     33 フ水関を占拠に際して楊懐・高沛を討つ
建安19年 214 7   33 ホウ統の訃報を持って荊州に戻る
建安19年 214 秋〜冬   33 益州が平定され、昇格・褒賞を受ける
建安19年 214 秋〜冬   33 馬超と腕比べを望む父の手紙を伯父に届ける
建安19年 214 秋〜冬   33 諸葛瑾を斬ろうとする父をとめる
建安19年 214   33 臨江亭での単刀会に赴いた父を迎えに出る
建安24年 219 7〜8   37 樊城攻略のため出陣。襄陽付近にてテキ元を斬る
建安24年 219 7〜8   37 ホウ徳と一騎打ちするも決着つかず
建安24年 219 8〜閏10   37 父の治療のため華佗を陣中に招き入れる
建安24年 219 閏10〜11   37 徐晃の計にあい偃城・四冢を失い樊城本陣に撤退
建安24年 219 閏10〜11   37 荊州奪還の後詰めとなる
建安24年 219 11   37 麦城に入る
建安24年 219 11〜12   37 西進するも決石にて潘璋・朱然に生け捕られる
建安24年 219 12   37 孫権の命により父と共に殺害される



関平 家系図