艶 続続続編
           えにしだふう様 ご投稿作品
 
 
 江陵太守関羽の屋敷に、しかも嫡子興の寝室にまで曲者を入らせてしまったことは大問題であった。
 ‘偶然’居合わせた関平将軍によって曲者は直ぐさま成敗されたものの、無事でよかったなどで済まされることではない。直ちに関羽は最も警戒すべき隣国宛へと諜報を出すこととした。
 宛といえば魏の四天王曹仁が預かり持つ領地であり、常に万端軍備を調え隙あらば江陵へ攻め入ろうとしていることは随分と前から間諜によって伝えられている。
 ここはひとつ信頼に足る、そして最新の軍力を調べ上げて報告せよ、との命を受けたのは外ならぬ関興であった。密偵ともなれば身分を悟られぬように行商に姿を変え、すなわち馬などに乗ってゆくわけにはいかぬため徒歩にて旅をし、宛に入った後も怪しまれぬよう水面下で調査をせねばならず時間の掛かることは必死。少なく見積もっても帰途に就くまでにひと月は掛かるであろう。
 敵国への潜入、諜報といえば弱小国蜀では必須事項であり、蜀の武将たちは皆一度や二度は任されたことがある。軍師殿や馬良、伊籍のように諜報による情報収集を得意とする文官たちもいるが、基本的に諜報は若くて血の気の多い武官に向く任務ではない。中には潜入先の酒場で酔っていさかいに巻き込まれ、揚句危うく身元が明かされそうになり、収穫なしにほうほうの体で帰って来た者もいた。

 関平は自分のことは二の次に、弟の任務の心配をした。
「興、お前は一人きりでこのように外に出るのは初めてなのだから何事も慎重にしなければ」
「わかっております、兄上。私とてもう子供ではないのですから心配はご無用です」
「しかし私はお前が心配なのだ」
 番ったばかりの幼い夫婦の睦言のような二人のやり取りに、父関羽は怒りを表わにした。
「ふん。頭を冷やすに丁度よかろう」
 呼び付けておいたはずの平が下の息子の部屋にいた先日のことを根に持っている父は、ここぞとばかりに興を平から引き離す機会としたのである。父はわざとらしく平の腰を抱き、興にはヒラヒラと手を振りながら早う行けとばかりに顎をしゃくった。
 興は興とて、先に兄と恋仲になったは自分であり自分の方こそ父に兄を横取りされたも同然ではないかと腹は立てるものの、父にそれを言うことも出来ず、渋々引き下がり任務に出て行ったのであった。

「父上!私は興に話してやりたいことがまだありましたのに」
 恨めしく唇を尖らすものの平の不満言など父には痛くも痒くもない。
「だいたいあの晩のことは…」
 言いかけたがそこで関平は口をつぐんだ。
…あの晩のことは私が父上を避けたいがために興の部屋に行ったものを。
 まさか改めて父本人にこれほどまでに不届きな言葉を投げ付けるわけにはいかない。
…いや、そもそも父上の床が激し過ぎるのがいけない。あの日だって結局父の部屋で身体を拭われた後またしてもいつものごとく父に丸め込まれて抱かれたではないか。どうしてくれるのだ、この二日も続く気だるさを。
 関平はぶつぶつ独りごちた。全く、武神だか鬼神だかの誰かのせいで自分はすっかり腰痛持ちになりかけている。
 無性に腹が立ち、関平はしつこく腰に回された父の太い腕をぴしゃりと叩いてやった。
「いい加減にお離しくだされ!私は家の者達に見られても平気などこぞの方ほど図太くはありません」
「ふん、生意気な言い草よ。まあ、よい。興にはうってつけの仕置きを与えてやったことであるし、お前も覚悟しておくがよい」
「な、何ですと。それはどういう意味ですか」
 父はますますしたり顔にて天下一とも評されるその自慢の髭を扱いた。
「どうもこうもない。とにかく、平、ひと月の間堪えられるものなら堪えてみせよ」
 そうして気味悪く緩んだ頬を隠しもせず父は立ち去るのであった。

 基本的に、父の悪趣味な嫌がらせがあろうがなかろうが、関平には成すべき仕事が山ほどある。なにしろ昨日の間に貯まってしまった書簡が机に山を成しているし、諜報に出ている興の分まで練兵しなければならない。二度と曲者などにいいようにはさせぬ為に治安向上のための城下の巡察も必須となれば、始めのうち、それこそ興が出立してから三日は仕事に忙殺され関平はくたくたになって寝台に倒れ込む日々を過ごした。しかしその間何故だか父は平を伽に呼び付けることはなかった。夜半に酒をぶら下げて関平の部屋にやってきてはその酒を息子に勧める訳でもなく、嗜む程度に酒を舐めると関平がぐったり倒れ込んだその同じ寝台に無理矢理巨躯をねじ込んで眠るのだ。
 疲れ切った関平は父の不可解な行動を疑問には思うものの、訳を考えようとするといつの間にやら寝入ってしまっている。まあ、父のやることなすこと大抵は関平には理解不能であるからして、三日続けて父の異常なまでに盛んな性欲の相手をせずに済んでいることにただ安堵した。

 興が旅立ってから十日もすると、ようやく関平の仕事量も平時並に戻り、多少は己のための時間も持てるようになってきたため、関平はこの日を待っていたとばかりに滞りがちであった武芸の稽古に励んだ。
「はっ、ヤアッ!」
 勉学も苦手ではないが、元々机上での何やらよりはこうして戟の一つでも振り回している方が性に合っているような気がする。秋も深まれば夕べの風は程よく汗ばんだ体に心地良かった。
「…精が出るな」
 屋敷の裏庭に父の長い影が伸びる。
「父上!お帰りなさいませ」
「うむ。そのような姿を見ると昔を思い出すな」
 父の言葉に関平も俄かに自分がまだ父に憧ればかりを抱いていた時分を思い出し、はにかんだ。
「はい、懐かしゅうございます」
「あの時分、お前は儂にろくに話し掛けもできんでおったな」
「は、はい…」
 関平は俯き、恥じ入った。
 その通りだ。自分は父に焦がれる余り、まともに顔すら見られなかった。そのくせ身体の方は馬鹿正直で、父に稽古をつけてもらってほんの少しその吐息がかかったというだけで欲が呼び覚まされてしまい困ったものだ。
「どれ、懐かしついでに手合わせしてやろう」

 何年ぶりかになる父との打ち合いは戯れ程度の軽いものではあったが、関平の関羽への本来の畏怖と愛情を思い起こさせるには充分なものだった。
…やはり父上はお強い。
 改めて肌で感じた父と己との圧倒的な武の差に関平はうちひしがれるどころか深い満足を覚えた。
 関平が充たされた表情で父をうっとりと見つめると、それに気付いた父も僅かに頬を緩めて息子の熱い視線を受け止める。
 関平は、自分と父との間にこのところ横たわっていた気まずさはすっかり昇華されたと信じて疑わぬのであった。
 気分をよくした関平は父の湯浴みを手伝い、父もそれを労うかのように「部屋に酒を用意しておけ」と告げるので、すっかり何日かぶりの父とのめくるめく夜を期待して自分も念入りに身体を清めた。
 しかし父は関平の部屋にやってくると、やはり酒を飲み(今日ばかりは息子にもすすめてみせたが)酔う程にもなる前にそれを切り上げ、またしても関平の寝台に上がり込み何をするわけでもなく眠ってしまったのだ。
「…」
 関平はぽかんと呆気にとられた。しかし父が占領しているその場所こそ本来関平が身体を休める場所であり、仕方なく寝台の隅に身体を横たえる。

…てっきり、夜の一戦があると思ったのだが。
 寝付かれぬまま関平は考えた。
…どうも何かがおかしい。父上は未だ怒っておられるというわけではなさそうであるのに。
 程よい運動に食事と風呂と酒とで体温が上がった父の体からは、いつにも増して男らしい父の匂いが立ち上っているかのようだ。
…ああ、父上の、匂いだ。
 こちらに背を向けて転がっている父のうなじに鼻を近づけて、すんすん匂いを吸い込み、はたと気付いた。
…まずい。
 気合い充分であった身体に胸いっぱいの父の匂いなど、刈り藁の山に火種を放り込むに等しい。関平の肉体はたちどころに反応を返し始めた。慌てて他事を考えて熱を散らそうにも一度気付いてしまった匂いも熱も、なかなか思いから出ていってはくれない。だからと言って父と同じ寝台の中で父の背中を眺めつつ自慰をするわけにもいかず、関平は悶々とした。第一、ひとりではどこをどうしたって満足などできないなのだ。残念なことにこれだけは実証済みである。
「ううっ…」
 はしたないと思いつつ、それでも堪え難い疼きに関平の手はゆるゆる下へと下りてゆき、張り詰めたそこを緩く握ったその時。
「…平」
 父がごろりとこちらに向き直り、にんまりと笑った。
「あ、あ、…」
 恥ずかしさに顔が紅潮するのを感じながら、しかし「た、狸寝入りなどなさるとは」と一言、憎まれ口だけは叩いてみせた。もちろん父には一矢どころか針の頭ほども報いることは出来なかったが。
「…で、どうする。言うておくが儂は手伝ってはやらぬぞ」
「そ、そんな」
「言うたであろう。ひと月の間、堪えられるものなら堪えてみせよと」
「!!」

 全てに合点がいった。
 これは父の計略だったのだ。それもとてつもなく悪趣味な。

「で、では宛の諜報に興をやったのも、毎夜私の部屋にお出でになるのも」
「なんだ今頃気付いたのか」
 意地の悪いその返事に、関平はわなわなと唇を震わせた。関羽は素知らぬ顔で続ける。
「そもそも平、お前はこの父を好いておると言うておきながら父よりもあんな小伜に現を抜かしおるとは」
 恥ずかしさと腹立たしさが混じり合い、がばりと跳ね起きると関平は言った。
「も、も、もうお小言は結構です!どうぞ父上、ご自分の寝所にお戻り下され!!」
 しかし関羽はふん、と鼻息だけを一つくれてやると再びごろりと平に背を向けて、今度こそ本当に寝入ってしまった。
 関平は異常なまでの父の寝入りの良さを呪ったが、それが長きに渡る戦場暮らしで身についたものであるとわかるからこそ二の句を次ぐことができない。仕方なく庭の井戸で冷水を頭から被り、頭と股間の熱を醒ました。

 ああ、自分が情けない。
 確かに父を愛している。が、なんとも始終振り回されっぱなしではないか!
 しかし、ここで身体の欲に負けて父の助けを求めるなどますます情けないことだ。それだけは、父に情けを縋ることだけは、なんとか避けねばならぬ。

 こうして関平の虚しい逃避行が始まった。毎夜父の匂い、気配のせぬ寝場所を探し、ある時は索の寝床に潜り込み、ある時は屋敷に帰らず執務室で眠った。が、いつでも目覚めてみると弟の代わりに父が隣りに眠っていたり、父の匂いが染み付いた袍をいつの間にか着せかけられていたりする。

 そしてついに。
 その日は不在である興の床をこっそり借りて休んでいた関平であったが、身に覚えのない不快感に目覚めた。いや、不快ではあるが大層心地よかった。つい先程までは。

 夢を見ていたのだ。
 父が自分を優しく床に招き上げ、「儂はお前を大事に思うておる」とかなんとか、とにかく身をよじりたくなるような甘言を幾つも囁いて口淫してくれている。自分では弄ることの叶わない身体の奥の弱点を、父の長い指先がそっとさすり。いつもの責め立てられるような攻撃的な快感ではなく、甘く誘い出すような未知のそれに、夢の中の関平は父を避けて逃げ回っていることなどすっかり忘れて父の顔の前で腰を振り、強く吸い上げられて父の口内で果てた。夢の中だったはずだが、信じられないくらい気持ち良かった。

 が、それもつい一瞬前までのこと。
…なんだ?なんなのだ、この感触は…?
 寝ぼけ半分に不快感の出所を手探りし、程なくそこにたどり着き、一気に覚醒し、そして嫌な汗がどっと噴き出した。

「…ん?いかがした、平」
 余りの混乱に、隣りにいるはずのない父の声がしたのに何故ここにいらっしゃると追及するのも忘れた。
「…」
 関平が何も言えずにいるうちに父の無遠慮な手は我が物顔で関平の着物の中をまさぐり、股間に触れようとしたところで慌てて我に返って父の手を押し止める。
「父上!やめっ、おやめ下さい!!」
 しかし平素から力ずくの父に勝てたことなどなく。ついには汚した下肢と、一度精を吐き出したはずであるのに尚も勃ち上がっているものを捕らえられてしまった。
…父上にここまでの恥を晒すのは、そうだ、興とのことを父上に知られてしまったあの晩以来だ。
 羞恥の余りどこかおかしくなってしまったのかもしれない。いやに冷静に回想する自分自身の一部に絶望的な可笑しみすら感じた。
 顔を背ける息子に父はさも嬉しそうに言う。
「ほう、三十路は過ぎてもさすがに若いだけあるな。一度ではまだ足りぬと見える」
「…父上。わかりました、何もかも私が悪うございました」
「ふん?何だ、いやに殊勝ではないか」
「平が、間違っておりました。平は、父上に可愛がっていただかねばこの通り、己の身体の欲一つ制することもできかねます」
「…わかればよい」

 十と九日ぶりの父は甘い言葉こそなかったが、関平が父のその熱い身体に忘我して官能に溺れるには十二分であった。
「はあっ、ぁ、うぅ…」
「平。お前はこの父だけを見ておればよい」
「は、はいっ…ああ…」
「命果てるまで父だけを愛し父と共にあると誓え」
「っ、誓います、誓いますから、どうか、も、もうっ…」



 後々思い返すにつけ、腰を鷲掴みにされて散々揺すり立てられながら、どうも(心外ではないにしろ)とんでもなく重大なことを誓わされた気がする。
 が、まあいい。いずれにしろ、自分は父と共に生き、父と共に果てるつもりでいるのだから。関羽 雲長の子となると決めたあの日から、それだけは変わっていない。
…ただし今暫くはそれを素直に口にして父を喜ばせてやる気はないが。

 今日も重い腰を庇いながら出仕する関平なのであった。