出逢い |
あき様 ご投稿作品 |
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―――自分は何のためにここにいるのだろう。 夕焼けに染まる山々を見ながら、関平は考えていた。 戦乱のこの世の中で、果たして自分に何ができるのか。 考えても意味のないことだと、自分でも分かっていることなのに、それでも何かにつけ思わずにはいられなかった。 (拙者は、何のために武を身に付けているのだろうか。) 気がつけば手に得物を握り、武芸を磨いてきた。 父・関定は、こんな世ではあるし、体の丈夫なお前には向いているかもしれないと言って関平が武芸を磨くことに反対はしなかった。ただ、兄はあまり良い顔をしないものだが。 確かに父の言う通り、こんな世の中では武芸を身に付けていれば自分の身は守れるだろう。関平も武芸を習得し、周辺ではそれなりの実力があると思ってはいる。しかし、この国は広いのだ。こんな小さな集落で実力があるといってそれが何の自慢にもならないことを関平はよく理解していた。 それでも。自分がどこまで行けるのか。武人として、風に乗って聞こえてくる武人達と刃を交えることができたなら。 いつかは自分も父や周囲の男達のように妻を迎え、家族ができるのだろう。その時に家族を守れるだけの武が身に付いていればいいと割り切ってはいても、どこかで納得できていない自分の気持ちがあることも関平は気づいていた。 こんな世の中だからこそ平穏な人生が送れることが幸せだと頭では分かっていても、そんなありきたりな人生を選びたくないという気持ちも存在していることも確かで、矛盾した二つの気持ちは関平の中で譲り合うことなく存在し続けていた。 そんな関平の前にあの男が現れたのは、突然のことだった。 ある日のこと。 朝早くから武を習っていた師のもとへと出かけていた関平は、帰宅してすぐに家の雰囲気の変化に気が付いた。 (おかしい) 門に近づいた辺りからそんな気配があったが、門を潜ってその気配は確信に変わった。 このご時勢に来客も珍しかった我が家が気ぜわしい雰囲気だ。早朝に家を出たときには来客の予定はなかったはずだし、第一そんな予定があれば父が前もって伝えているはずだ。 何事かと思い、足早に父のもとに向かった。 父・関定は客間にいた。 武具を自室に置いた後、関平は帰宅の挨拶も兼ねて客間へと顔を出した。 「父上、関平です。ただいま戻りました」 「おお、お帰り。ちょうど良かった。平や、こちらへ。関羽様、これは私の下のせがれで平と申します」 父に手招きされ、入った客間には父と何人かの男がいた。いずれもこの近辺では見かけない顔をしていた。関定の話ぶりからすると、友という間柄でもなさそうに見受けられる。 中でも中央に座っていた大男に関平は目を奪われた。 (まさか、このお方は・・・!) 見るものの目を奪わずにはいられない長い髭。日に焼けた肌や精悍な顔つきや立派な体躯。 客人の前で挨拶もせずに突っ立ったことにすぐに気が付くと、関平は慌てて拱手の礼を取った。 「ご無礼をいたしました。平と申します」 「これは、なかなか逞しいご子息がおられるな、関定殿」 自分の配下にしてもおかしくないなどと、酒を飲みながら関羽が戯言を言うのに、 「将軍にそう言っていただけるとは。これは武芸を好むものですから、幼い頃より習わせております。これでなかなかの腕前でございますよ」 自分の父親が自分のことを初対面の客人の前でほめることに慣れていない関平は、思わず俯いた。しかも、相手はあの関羽である。 その名前なら、関平ならず幼い子供までも誰もが知っている。 先の官渡の戦いでは曹操への恩義を返すため、袁紹軍の猛将・顔良を一撃で討ち取ったと。 恥ずかしいことに、関平は関羽に憧れていた。彼のような武人になりたいと日々願い、武芸を磨いているのだった。 そんな憧れの存在とも言える関羽を目の前にして、関平は耳の後ろまで真っ赤にした。 改めて関羽を見つめると、なるほどその名が広く知れ渡るだけの雰囲気を醸し出している。 客人を疲れさせてはならないと、早々に客間から退出しなくてはならなかったのが、少しだけ関平には残念だった。 父・関定のなけなしのもてなしを受け、関羽は満足していたと関平には見受けられた。歓迎の意を汲み取ってくれた関羽に心から感謝し、関羽が休むための部屋へ移動したあと、関平は父・関定になぜ我が家に関羽がくることになったかを尋ねてみた。 関定が言うには、義兄・劉備を迎えに行く途中だが、連絡が取れるまでの間の宿を探しているところに関定が偶然出くわし、同じ姓でもあるし良ければということで我が家に迎えたとのことだった。 さらに関定から、関羽は戦いの連続であったため、このように暖かな歓迎は本当に嬉しいと言っていた事も教わり、関平はまるで自分が褒められたかのように嬉しくなった。そして、自分が憧れている関羽を偶然とは言え、我が家に招いた父・関定の徳の高さに感謝した。 さらに喜ばしいことに、関平は関定から関羽滞在中の関羽のお世話を自分がするようにと言いつかったのだった。 「関羽様は名の通ったご立派な方でいらっしゃるが、お前のことがお気に召されたご様子。短い期間ではあるだろうが、お前にとってはまたとない機会であろう。よくよくお世話して差し上げなさい」 「はい、父上!」 この日の関平は、嬉しさのあまりなかなか寝付けずにいた。 翌日から関平は関羽の身の回りの世話をすることになったのだが、聞くのと見るのとは違うのはこういうことなのか、と痛感させられることも多かった。 関羽はその身体だけではなく、心栄えも立派だと話には聞いていたのだが。 目の前の関羽はどうもそうではないらしい。 「ふん、連絡が遅い!とっくに兄者の住む屋敷には潜入できておろうに。袁紹ごときの包囲網など、すぐに破れようものを」 などとぶつぶつ言っては、難しい顔をしている。 そのぼやきも関平以外の他の者には聞こえないような頃合や大きさでいうものだから、関羽を半ば伝説の人物のように捕らえていた関平には意外だったのもいいところだったが、全てが完璧な人間などがいるはずもないか、と思い直すことでそんなに失望することもなかった。 兄弟が敵味方に別れていては、心配で仕方ないだろうし早くその顔を見て安心したいと思うのは当然のことだろうとは関平でも想像できた。ただ関平自身、家族と生き別れた経験がないため、あくまで想像することしかできなかったけれど。 逆に言えば、関羽がそんな人間らしいところを自分に見せてくれるのが嬉しいともとれた。 あの関羽が自分には心を開いているのかもしれない。だからこそ、こうして愚痴を自分だけにこぼしているのかもしれない。 それは関平が勝手に良いほうに解釈しているだけだったが、あながちそうだとも断言できないところが関羽にはあった。 関平には兄・関寧がいたが、兄に話をきくところによると、関羽は兄と一緒に過ごすことがあったとしてもそんなに会話をすることがないらしい。その点、関平は関羽からはいつから武芸を習っているのだ、今は誰に教わっているのだ、鍛錬方法は、得意な得物は何だ、実践経験はあるのか、等々。 関羽は流暢に話す性質ではないが、低い威厳のある声で突然聞かれるので、関平はその度に緊張して自分の気持ちを上手に話せずにいた。しかし、関平はそんな関羽との会話の時間がとても楽しみになっていた。 何よりあの関羽と会話をして、同じ屋根の下で過ごしていると思うだけで嬉しくなってしまうのだ。さらに、連絡を待つ間の暇つぶしなのか、関平の練習相手になってくれたりすることも増えていた。これには関平も本当に喜び、どんなに体が疲れていても嬉しさのほうが勝って疲れを感じないくらいだった。だがしかし。 関羽様がずっとここにいてくださればよいのに、と思った次の瞬間、関羽は義兄を待つためにここに滞在しているのだから、長くは滞在できないのだということを思い出し、関平はその胸を痛めるのだった。 (できることならば、ずっと関羽様にこうしてお仕えすることができれば…) 今のような幸せな、春のような生活はごく限られた期間でのことだ。やがて関羽は劉備と合流し、関平には想像もできないような戦いの世界へと行ってしまうのだろう。こんな田舎で、戦も知らぬ自分がついていくとわめいたところで、関羽も困惑するのに違いない。 (そうだ。父上もおっしゃっていたではないか。) めったにないことだから、と。本当にその通りだ。 その名を知らぬ者などいない関羽が、今このときに我が家に滞在しているだけでも名誉なことだ。ゆっくりと滞在していただけるように心を尽くすことはしても、その先を望むことは欲深きことなのだ。 やがて来る別れの時に後悔しなくてもすむように、精一杯、できることをして差し上げなくては。 そう決意した関平の耳に劉備からの連絡が入ったと父・関定から聞かされるのは翌日のことだった。 「劉備様が無事に袁紹の元を脱出できたとのこと。良かったですなぁ」 「もう間もなく兄上様にお会いできましょう」 父も兄も関羽を囲んで満面の笑みだ。 関羽が待ち続けた人とようやく会える目処がついたのだ。喜ばずにはいられない。 「あと二日ほどでこちらに到着することでしょう。もし、よろしければ劉備様にも我が家にお泊りいただいて、お休みいただければ幸いにございまする」 「何から何までお気遣いいただき、かたじけない」 ならば、再会の宴の準備を整えなければと、嬉しそうにあれこれ算段する父やその手伝いを行う兄と違って、関平は心から喜べずにいた。 あと少しで関羽は離れてしまうのだ。そうすれば二度と会うこともないだろう。 そう思うだけで辛くてたまらないのだった。 「何か、辛いことでもあるのか」 稽古の最中、ふと関羽にそう尋ねられた関平は、すぐにうまい答えが浮かんでこなかった。うつむいた後顔を上げて、 「いいえ、関羽様が心配されるようなことは何も。稽古を付けていただいてる最中に失礼いたしました」 できるだけ硬くならないように笑顔でそう答えた。 (本当は、違うのだ) 関羽の言う通りなのだ。 こうして稽古をつけてもらうことも、傍で何かと世話を焼くことも、関羽のぼやきを聞くことも、姿を見ることすら…。 このまま考えていると、あまりの辛さに胸が熱くなりそうだ。 こみ上げてくるものを必死でかき消して、関平は努めて明るく関羽に接した。 関羽に余計な心配をかけたくない、自分の勝手な感情で残りわずかな時間を無駄にはしたくないという気持ちが強かったからだ。 関羽の顔を見ているだけでもこみ上げてくる感情を、どうにかして抑えつつ稽古を続けていた関平を見ながら、関羽がため息をつくのが聞こえた。 「稽古に集中しろ。意識が散漫しているぞ」 「は、はい。申し訳ございません!」 「少し、休むか」 申し訳なさそうにうつむいてしまった関平を見かね、稽古を中断した。 関羽と離れたくない。でも、ついていけるわけがない。 二つの気持ちに揺れ、自分自身がどうにかなってしまいそうだ。 「関平」 うつむいたままあれこれと考えていた関平の耳に関羽の声が聞こえてきた。 顔を上げると、自分の隣に関羽が座っており、思ったよりもその顔がすぐ近くにあったため、関平はすぐに頬を赤く染めてしまった。 関羽の整った顔立ちに見とれていると、ふと関羽がその大きな手で関平の頬に優しく触れてきた。 「関平・・・」 「関羽様・・・」 自分の鼓動がこんなに大きいものとは知らなかった。 大きすぎて、木々のざわめきも鳥のさえずりも何も聞こえない。 自分を見つめる関羽の、優しいまなざしに関平は何も言えない。 頬に触れていた手のひらが、ゆっくりと移動して関平を上向かせるように顎に触れたあと、親指で関平の唇に触れた。 近づいてくる関羽の顔に、なぜか怖さを感じてかたく目をつぶった。 そして・・・。 まず吐息を感じた直後に、髭の感触があった。唇に柔らかさを感じた瞬間、それはなくなり、また唇に触れてきた。 唇を重ねるだけの口づけを何回か繰り返したあと、関羽は指先で関平の口を開かせると、先ほどまでとは全く違う深さで唇を重ね、関平を味わうように口付けた。 情熱的な口付けに、関平は眩暈を起こしそうになった。 何せ人生で初めての口付けなのだ。勝手も何も分からない。 呼吸のコツも分からなくて、関羽の唇が少し離れた隙に慌てて呼吸をした。 そんな初な関平を見て、関羽はつい鼻で笑ってしまったが、関平の腰に手を回して片方の手で関平の顎を押さえると、また深く口付けた。 「んっ」 入り込んできた舌の感触に、思わず声が出てしまう。 関羽のいいようにされていたが、気持ちよさに力が抜けていき、すがるものを求めて逞しい関羽の背中に手を回して抱きしめた。 何も考えることができない。 ただ、感じるだけだった。関羽の逞しさ、関羽の髭の感触、関羽の息遣い、関羽の唇と舌の柔らかさ、関羽の匂い。 目や耳、関平の体の全てが関羽に染められてしまったかのように、関羽のことだけしか考えられない。 軽い音を立てて口付けが終わり関羽と離れてしまっても、関平は魂が抜かれたかのようにその場に座り込んでなかなか動くことができなかった。 自分の身に何が起こったのか理解できない。 ただ、唇や頬や体に残る関羽の感触だけが現実としてあるだけ。 「関羽様・・・」 ようやく口から出た言葉は、あの人の名前。 なぜ関羽が自分に口付けたかが理解できない。女の身代わりとも思えない。 それなのに、嫌悪感がない。全く違和感がなかった。 自分の内側に始めて宿った感情の正体を知ることができないのに、瞳から流れ出る涙を止めることができなかった。 沈んだ気持ちのまま、関平が起床すると家中が気ぜわしい。 劉備が到着するのは明日だと聞いていたが、家人の話を聞くに、夜明け前に知らせが届き、今日中に劉備が到着するという。 いよいよ別れが現実のものとなり、関平の心は絶望感が覆った。 昨日の口付けのこともあり、こんな気持ちで関羽に会いたくはないというのが正直な関平の気持ちだったが、今会わないで別れたらきっと後悔するだろうということも彼なりに理解していたので朝食もそこそこに劉備を迎えるための準備に奔走することとなった。 昼過ぎに先触れが到着し、もう間もなくだと聞いたとたんに関羽は家を飛び出して門前で劉備の到着を待った。 その姿を後ろで見つめていた関平は、やはり関羽にとって劉備は最も大切な存在なのだと痛感せずにはいられなかった。 関羽が飛び出してしばらくすると、門辺りがにぎやかになり、劉備一行が無事に到着したことが伺いしれた。 父・関定の勧めもあり、劉備も一晩休んでから末弟・張飛の待つ居城へ向かうこととなった。 まずは長兄との無事な再会を祝うため、もてなし好きの関定がささやかな宴を催すことに決まり、忙しさのあまり関平には明日に決まった関羽との別れを惜しんだり悲しんだりする暇もなく、かえってそれが幸いとも言えた。 宴が始まってようやく一息つくことができた関平は、宴会の外側からそっと関羽と、彼が敬愛する劉備の姿を見ていた。 遠目ではあったが、劉備を見てなるほど仁徳の人といわれるだけの雰囲気を持っている人だと関平は感じた。 隣に座っている関羽の満面の微笑みを、信じられないような気持ちで見つめながらも、劉備と関羽の間にある、何よりも深くてかたい絆を見せ付けられ、何とも表現しがたい感情に揺れていた。 しかし、今夜だけなのだ。 今夜が終わり朝が来れば、関羽は劉備と共に旅立ってしまう。望んでも会うことすらできなくなってしまうのだ。ならば、この脳裏に関羽の姿や声を焼き付けておきたいと願うのは、自然のことだろう。 (関羽様・・・) 切り裂かれそうな気持ちで関羽を一心に見つめていた関平の視界に、父・関定が入ってきた。 (父上?) 「劉備様!」 祝宴のざわめきの中、関定の声は意外と大きく響いた。 関平を始め、その場にいた誰もが何事かと関定に注目し、一瞬でざわめきが収まった。 「劉備様や関将軍とお近づきになれたのも何かのご縁。つきましてはぜひお願いしたいことがございます」 「おお、それはそれは。私はもちろん雲長にもよくしていただいたのですから、できることなら何なりと言ってください」 劉備は優しい笑みを浮かべて関定の言葉を聞いていたのだが、関平とその兄・関寧だけは父がどんな無茶を言い出すのかと心配そうに見守っていた。 関定はありがとうございますと慇懃に頭を下げて、 「では申し上げます。私には息子が二人おりまして、そのうちの下の息子・平を関将軍ご滞在中のお世話役として付かせておりました。幸い将軍にもお気に召していただいたご様子ですが、以前より将軍をお慕い申し上げておりまして将軍との別れが辛いのでございます。よろしければ、この平を関将軍のお傍に仕えさせていただけないでしょうか」 淀みなく劉備に伝えた。 言い終わったあと、沈黙が周囲を包んだ。 当の劉備本人は一瞬驚いたようにその瞳を丸くさせたが、すぐに笑顔に戻った。 「そのようなこと・・・。わざわざおっしゃるまでもない」 「劉備様?」 「実は、義弟もご子息との別れが気になっていたようなのです。聞けば、ご子息は武芸に秀でているとか。幸い、雲長にはまだ子がおりません。いかがでしょう、ご主人。ご子息を雲長の子としては・・・」 「りゅ、劉」 「おおーっ」 関定も関平も予想しなかった劉備の言葉に、関平が思わず声を上げたその時、周囲からのどよめきが沸き起こり、関平の抗議とも取れるような声はすぐにかき消された。 どよめきの中周囲の人々に背中を押された関平は、劉備と関羽がいる座の中央へ躍り出ることになった。 「そなたが関平か?なるほど、まっすぐな良い瞳を持っているし、素直そうな青年ではないか。ご主人、私からもお願いしたい。ぜひ、この青年を義弟の息子として迎えたいのです」 劉備は関平をじっと見つめたあと、改めて関定に告げた。 関定は、側仕えでも名誉なことですのにそこまでおっしゃっていただけるのでしたら、と言い、何も知らぬ息子ですがよろしくお願いいたしますと付け加えて深々と頭を下げた。 関平は自分がどんな立場に立たされたのかも理解できずにただ呆然と劉備と関定のやり取りを聞いていた。 一方の関羽も、突然のことで驚きを隠せないらしく、関平も初めて見る表情を浮かべていた。 劉備のとりなしで、ということでめでたさが更に増し、ぜひ関羽と関平に親子の名乗りをさせようという雰囲気になったので、関羽と関平は衆目の前で手に手を取って親子の名乗りを果たした。 その後は大宴会へと発展した。 関平も宴会へ参加させられていたが、自身があまり酒に強くないこともあり、程よいところで理由を付けて宴席から外れて庭に出てみた。 (拙者が、関羽様の子に、なる) 宴の賑やかさが遠のくと落ち着いて考えられる状況ができた。 父が自分の望みを見通して、関羽の側仕えにと申し出てくれたことは正直に言って嬉しかった。例え断られたとしても、だ。 だが、現実はそれをはるかに超えて恐ろしいとも言える事態になっている。 自分があの関羽の子供として迎えられるのだ。父が言った通り、側仕えでも名誉なことなのに。 (でも、これで関羽様のお側にずっといられるのだ) そう思うと、なんだかふわふわとした気持ちになった。 「関平か?」 あれこれと考え事をしていた関平には、声をかけられるまで関羽が側に近づいていたことに気づかなかった。 「関羽様・・・」 関羽は苦笑すると、関平に視線を向けて、 「お互い大変なことになってしまったな」 と言葉をかけてきた。 「関羽様にはさぞご迷惑だったことでしょう。申し訳ございませぬ。拙者には過ぎた待遇です。どうぞ側仕えに・・・」 関羽の言葉が、まるで関平を養子に迎えることには賛成ではなかったというような意味合いに聞こえ、今すぐ撤回すれば傷は浅くてすむという心持で関平は関羽に告げた。 「いや、そうではない。そうではなくて、兄者が考え実行なさることは時として分からぬと言いたかったのだ」 「え?」 関羽はゆっくりと関平に近づくと、自分を見つめる関平の瞳をじっと見た。 「後悔するかもしれぬぞ。この家から外に出れば、お前が想像できないような苦難に遭遇することも多々あろう。関定殿のような父親には儂はなれぬ。今までのような暖かい生活など到底約束できぬ。それでも儂についてくるのか」 それは脅しなどではなく、真実なのだろう。まだ若い関平に後悔させたくないと思い、確認しているのだ。義兄・劉備が決めたことなのだから関平の気持ちや覚悟などは確認するまでもないのだが、それでも確認せざるを得ないのは関羽の優しさかもしれない。 「はい、関羽様。関羽様にお会いして拙者はようやく道を得た気がします。関羽様や劉備様と共にどこまでもついて行きたいのです。野に屍をさらすことになろうとも後悔などいたしません」 これは関平の偽りない気持ちだった。 自ら憧れている関羽のすぐ近くで武芸に精進することができるなんて、こんなに素晴らしいことはない。 真面目にそう告げた関平を見たあと、なぜか関羽は困ったような表情を見せた。 「あの、関羽様?拙者、何かおかしなことでも申し上げましたか?」 「いや」 そう言うなり、関羽は関平を引き寄せ強く抱きしめた。 「か、関羽様・・・」 「平」 恥ずかしさでもぞもぞ動く関平をよそに、関羽は関平の耳元で名前を呼んだ。 そのあまりの低くて甘い響きに関平の体がぴくん、と反応する。 「儂は良い父親にはなれぬ。それでも儂に付いてくると?」 「はい」 「生涯、傍を離れぬと?」 「はい、誓います」 「ならば、お前はこれより儂の言葉だけを聞き、儂の背中だけを追え。良いな?」 「はい!父上と呼ばせていただきます」 嬉しさのあまり、関平は自分の顔が満面の笑みになっていることに気づいていた。 嬉しくて嬉しくて、言葉にならない。そのうち、頬を熱いものが伝ってきて涙を流しているのだと分かった。人は嬉しくても涙を流すものなのだと実感した。 拙者は道を見つけたのだ。 関雲長という武将の息子として生きる、道を。 この大きくて少しだけ意地悪で、優しいこの人と共にこれからいつまでも。 完 |