援交。
           えにしだふう様 ご投稿作品
 
 
 お前のプロフ載せといてやったから、と昼放課に突然事後報告されてからまだ3時間も経っていない。

「最低5分はわざと遅刻しろよ」
 ホテルと待ち合わせ時間を伝え、さらにそう付け加えると劉封はさっさと下校していった。持ち物はだいたいブランド品だらけの彼だが、毎日会っている関平でも見たことのない新しい二つ折のウォレット−劉封は財布をそう呼ぶ−を持っていたから、また‘お小遣’で買ったのだろう。
「…」
…劉封ほど裕福な家の子供で親から正真正銘の小遣いももらっているのに、どうして。
 関平には全くわからなかった。

 劉封は援交をしている。
 マダムが少年を買う逆援ではなく、客は男だ。しかも金のためではなく自らの楽しみのためなのだという。
 ただ若さ故の肉欲を満たしたいならせめて恋人を作ることにすればいいのに、と思うのだが劉封の言う楽しみとはスリルと背徳感のことであるらしい。今日もあの急ぎようならこの後待ち合わせをしているのだろう。
 はあ、とため息が出た。
 父親の見栄で入学したこの超名門私立高校。その莫大な学費は到底父の収入では足りず、関平自身も朝刊配りのバイトをし派遣の兄の臑までかじって何とかやっていたのだが、この不況の折に父は収入が減り兄はハケンギリにあってしまった。
 クラスでは思いっきり浮いている貧乏学生の自分に周りの視線も構わずにつるんでくれるのは劉封しかいないので、仕方なくそっと事情を打ち明けたところ、彼は「簡単なことだ」とたちまち関平をサイトに登録してしまったのだ。
 もちろん、嫌だ、やめてくれと言った関平だが、登録は劉封のケータイからしてあって彼の意思がなければ登録解除もできない。
 そもそも男の援交なんてものがあること自体が関平には信じられなかった。
…敢えて男を買う男がいるなんて。
 しかし顔の造作がよいためなのか、それともそういうテクニックがあるのか、劉封がそれでしっかり稼いでいるのも事実だ。「オレは手と口でしてやるだけでヤラせはしない」と豪語していたが、その手管についてもっと詳しく聞きたいなどとは思わなかった。
…はあ。
 もう何度めかわからないため息が零れた。



 こんなこと、やっぱりおかしい。相手の人に「友達が勝手に登録してしまったのでごめんなさい」と謝ろう。お金のことはもっとバイト増やして何とかしよう…と悩みながらやって来たが、1748、1748、と呪文のように口にしながら歩く高層階の廊下はひと足ごとにふかふかのじゅうたんにスニーカーが沈む。まるで自分の重苦しい気持ちみたいに。
 こんな高級そうなホテルのロビーに制服姿の高校生が入ってくるだけで見咎められやしないかと冷や冷やした関平だったが、フロントマンがパソコンのディスプレイから顔を上げなかったのだけが幸いだ。
「1748…」
 ここが、その部屋。
 ケータイの時計を確認する。劉封の言う通りにしたかったわけじゃないのに、はからずも指定時刻を5、6分回っていた。
 ゴクリと生唾をのんでブザーを押す。
 すぐにガチャリ、とロックが外される音がし、ドアが開いた。



 どうやって部屋に入ったのか、どうやってベッドサイドまでたどり着いたのか覚えていない。ただ、大柄な体躯を仕立てのよいスーツに押し込んだ男の前でカチカチに緊張して立ち尽くしているだけだ。
 フゥーッと男は−歳は40代から50代だろうか?−葉巻の煙を吐き出す。あごヒゲといい葉巻をくわえる仕種といいなにもかもが様になっていて隙がない。
…うちの頼りない父さんとは大違いだ…。
 だいたい劉封が援交サイトに載せた自分のプロフィールを見てアポしてきた相手が、こんなチョイ悪でカッコイイ素敵なオジサマだったのが驚きだ。
…もっとオタクっぽい気持ち悪い人ばっかりなんだと思ってた。いや、でもカッコよくたって援交はやっぱりよくない…でしょ。
 カラカラに渇いた唇を舐めながら勇気を振り絞り、関平は男に頭を下げた。
「あのっ…」
 息が切れてうまく喋れない。
「ぼ、僕がお金が要るって話したら友達が勝手にプロフ載せちゃって、だから、えっと」
「…」
「あの、あなたと、その…え、えっちなことはできません!ごめんなさいっ」
 頭を下げたまま待った。
 またフゥーッと煙を吐き出す音が聞こえた。
「…相手を待たせてその気にさせるためにわざと遅刻してきたんじゃないのか」
…劉封め。わざと遅刻しろってのはそういう意味だったのか。
 男は渋い良い声だ。しかし声を聞く限り立腹している様子はない。
「す、すみません。こんなホテルとか入ったことなくて、迷いました」
 これもまるっきり嘘ではない。
 男がくくっ、と笑った気がした。
「…‘初めて’ってのは本当らしいな」
…は、初めて?
 何のことかわからず、関平は頭を上げてポカンと男の顔を見た。男は葉巻をくわえたまま手にケータイを持ちその液晶とこちらを見比べる。
「…‘素敵なオジサマ、僕の初めてをもらってくれませんか’」
 読み上げられて体が沸騰した。
「うわー!わー、わー!!」
 がむしゃらに腕を振りケータイを奪おうとしたが、あっさり両腕を掴まれ撃沈する。
「違っ、これは違うんです!!」
 涙目で訴える。男は意地悪そうにニヤニヤ笑った。
「だから、と、友達が勝手に!」
「そう何度も同じことを言わなくてもわかってる。しかし金が欲しいのも事実なんだろ?」
 関平はぐ、と声を喉に詰まらせた。
「…」
「何のための金だ」
 静かに問われ、仕方なく口を開いた。
「…僕の、学費です」
 暴れるのをやめると腕はスルリと開放された。
「ん?その制服で、学費に困ることなんてあるのか」
 この制服が分不相応なことなど痛いほどわかっている。いたたまれなくて奥歯を噛み締めた。
「…ホントは…こんな、こんな制服着られるような家の子じゃないし」
 男は何も言わなかったが、その表情からするにこちらの事情を難無く汲み取ったようだ。
「そういうことですから僕はこれで失礼します。…お、オジサマみたいなダンディな人に会えてよかったです」
 我ながら恥ずかしい台詞にくるりと振り返って逃げようとしたところをグワシと捕まった。
「ちょ、離してください!ってか痛い痛い!」
 背が高い男にズボンのベルトを背後から掴まれると関平は猫の子のように宙づりにされかかって股間が危うい。顔を真っ赤にしてジタバタもがいている関平に男はニヤリとし、当然のように言った。
「お前、どうせ暇なんだろ?…付き合え」



 ずんずん先を歩く男についていくのは楽ではなかった。なにしろリーチが違う。ちょこまかと仔犬のように後ろについて回り、そして連れて来られたのは何やら新進気鋭だという画家の個展が開かれているギャラリー。わけがわからないまま「愛想笑いしておけ」という男の指示に従い、ひたすらニコニコと後ろに立っていると皆に「立派なご子息で」と褒められる。気まずさは禁じ得なかったがなんとか関平は男の‘ご子息’をボロを出さずに演じ切った。
 しかし男の半歩後ろで話を漏れ聞いていてわかったこともある。
 男は‘関’というらしい。(奇しくも同じ苗字だ)
 そして男は、投資家。
 それも相当なやり手の。
…なるほど、そりゃお金持ちだ。
 納得したが、会う人会う人が各界の名士という状況に慣れない関平はあちこち連れ回される内にぐったりと疲労を感じていた。

 最後に連れて来られたのはいかにも高級そうなフレンチレストランだった。しかしコースを堪能し会計が終わっても男の取引相手などが登場しない。関平がキョロキョロしていると、男は「なんだ、フレンチよりイタリアンか中華の方がよかったか」と尋ねてきた。
「へ?よかったかって…?」
「なら明日は中華にでもするか」
「明日…」
「明日も同じホテルに同じ時間で。いいな?」
「ちょっ、ちょっと待ってください!」
「何だ、明日は何か用があるのか」
「…ないけど」
「なら決まりだな」
 それ以上関平が何を言っても男は取り合わなかった。
 タクシーで最寄りの駅前に着くと、男は尻ポケットからマネークリップに挟まれた札束(関平はその分厚さにただ唖然としていた)から3枚引き抜き関平の制服の胸ポケットに押し込んだ。
「えっ、何ですかコレ?!」
「小遣いだ」
「ダメですこんなの多すぎる!お食事だってご馳走になったのに」
「デートで食事は当たり前だろうが。…それから言っておくが俺の‘息子’ともあろうモンが明日はその靴では連れ歩けんぞ」
 え?と関平が己の足元を見下ろした隙に男は再びタクシーに乗り込み、関平を残して走り去ってしまったのだった。



 翌日会うなり劉封が「どうだった」とニヤニヤ尋ねてくるのに関平は困った。
「どうって…」
 関平がどの程度説明しようかと迷っている間に、劉封は「あのホテル指定してきたならオヤジ世代のセレブだろ?時間が早かったから会社員じゃないな」と頼んでもいないのに次々プロファイリングしてみせる。しかしそのあまりの正解っぷりに、感心するというよりは今までどんだけの男と会ったんだよ、と毒づきたくなった。
「あの、実は…昨日の人と今日も待ち合わせすることになったんだ…」
「へぇ。お初でリピーター?お前なかなかやるな。そんなにカラダがいい相性だったのか?」
…訂正するよりはノーコメントにしておくのがよいだろう。
「だから、あの…サイトから僕のプロフ外してよ」
 劉封はあっさり快諾し、その場でケータイを操作し始めた。ただし、またもや余計なアドバイスをすることも忘れなかった。
「…関平。間違っても惚れるなよ」
 
 
次へ