援交。2
           えにしだふう様 ご投稿作品
 
 
…惚れる?惚れるってどういうことだよ。

 頭が混乱して、よくわからない。
 スニーカーしか持っていなかったため学校帰りに新しい靴を買いに行く間、関平の頭の中にはずっとその言葉が回っていた。
 この気持ちがなんなのか恋愛経験乏しい関平にはわかるはずもなかったが、ただ靴を捜す間じゅうオシャレでダンディなあの男の‘息子’に相応しくなりたい、そしてあの人に認めてもらいたい、喜んでもらいたいとそのことだけを考えていた。
 迷いに迷った後、劉封が普段から履いているようなスウェードの靴を買った。昨日までの関平にはとても手が出ない値段だ(多分世の中的には珍しくもない値段だろうが)。
…早く、あの人に会いたい。
 逸る気持ちの理由に気付かないまま、関平は待ち合わせのホテルへ急いだ。

 男に開口一番「うん、まあいいだろう」と頷いてもらえただけで関平は舞い上がった。
「今日行くのは一箇所だけだ」
 そう言われ、ほっともしたが、この甘いひとときもすぐに終わってしまうのかと悲しくもなる。
 別のホテルでの立食パーティーに出るために二人して乗り込んだタクシーの後部座席で、関平は昨日から腹に抱えていた疑問を口にした。
「僕なんかがついて行って大丈夫なんですか?」
「構わん。以前から息子を見せろと言われてたしな」
…ってことは。
「…じゃあ、ほんとの息子さんも、いらっしゃるんですね」
 厭味でそうしたわけではないのに不意に喉の奥に何かがつかえて言葉が途切れ途切れになる。
 男は面白そうにこちらを見下ろした。
「お前、意外に頭も回るんだな」
 意外に、に軽いショックもなくはないがこれは褒められたのだろうか。ははは、と生気も失せつつ笑うしかない。
 しかし続けての男からの一言にさらに気力が奪われた。
「そーいや、お前、名前は?」

 改めて男と自分の関係は本来道ならぬものであるという事実を突き付けられたようで、それが何故か無性に悲しかった。

…こんなに、自然に隣にいるのに。
こんなにも、好きなのに。

…あ。
 僕、この人、好きになっちゃったのか…。

「…平です。関平」
「関?もう息子の演技が始まってるのか?本当の苗字は?」
「だから、ほんとに最初から関平です」
 へえ、とさらに可笑しそうに男はこちらを見下ろしたが、余りにも不毛な自分の気持ちに気付いてしまった関平はとても男の顔を見上げることはできない。
「…ほんとの、息子さんを、連れてかないんですか」
「あんなのは連れて歩く気もせん」
…自分の息子に‘あんなの’って。でも、僕なら連れて歩いてもいいってこと…?
 気付いてしまった途端に些細なことまでなにもかもを自分に都合よく解釈しようとする己の厄介な恋心に関平は小さくため息をついたのだった。

 その後、場違いな雰囲気とボロを出してはいけないという緊張に、男の大きな背中をつい視線で追いかけてしまう切なさもあいまって、パーティーでは食べ物などほとんど口に入れられなかった関平は、初めに待ち合わせをしたホテル前でタクシーを降りてもひたすら黙りこくっていた。
「どうした。今日はやけに大人しいな。疲れたのか」
 いえ大丈夫です、と言ってさっさと帰る方がいいに決まってるのに一分一秒でもこの人と一緒に居たくて体が動かない。
「…」
 モジモジ黙っていると間の悪いことに無遠慮な腹の虫がグゥ、と唸った。かあっと顔が熱くなる。男は豪快に笑った。
「なんだ喰いっぱぐれて腹が減ってるのか。わかりやすい奴だな。そういえばお前…中華が食べたいんだったか?」
 昨夜のフレンチレストランみたいなめちゃくちゃ高級な店に連れていかれてはますます申し訳ない、と関平は慌てて否定した。
「いえ!あの、もうそんな。僕のことは気にしないでください」
 しかし言い終わる前に腹の虫が再び豪快に合唱を始める。
「やっぱり腹が減ってるんだろうが。ならルームサービスくらい取ってやる。来い」
「え…」

 自分と男の関係で、のこのこ部屋までついていくということがどういうことなのかはもちろんわかっている。だけど出会ってまだ二日だとか、そんなこと関係ない。
…もっと、この人と一緒に居たい。
 ただその自然な欲求に逆らえなかった。

「ごちそうさまでした」
 サンドイッチとカフェオレを平らげた関平の横で男は長い脚を組んで葉巻をふかしていた。
「気が済んだんなら、そろそろ帰るか?」
「えっ?!あっ、あの!」
「何だ。まだ何かあるのか」
…ど、どうしよう。まだ次の約束してもらってないよ…。
 劉封にサイトからプロフを下ろしてもらった今となっては、連絡先も知らずにこのまま別れては、住む世界が違う自分はこの人に二度と出会えそうにない。
「…つ、次は」
 男は片方の眉を跳ね上げた。
「…?」
「次は、いつ会ってもらえますか」
 だってだって、僕、オジサマとこれでお別れじゃ嫌だし、と慌てて口の中でゴニョゴニョと付け加える。
 ‘おじさん’ではダンディなこの男には似合わなくて失礼だろうし、かと言って‘あなた’と呼ぶのは気恥ずかしい気がして‘オジサマ’と言ってみたのだが、気まずいことに‘オジサマ’と口に出した途端に一際いかがわしい気配が立ち込め、関平はいよいよ進退窮まった。
 男が太い指で葉巻を揉み消し立ち上がる。その大きな身体の陰にすっぽり隠れた自分はまるでまるごと抱きしめられて捕まったみたいだ、と思った。
「…お前、それがどういう意味になるのか、わかって言ってるんだろうな?」
…僕のためにわざと脅すような言い方をしてくれてる。
 男の鋭い目許に男なりの優しさを見つけ、さらに愛おしさが募った。
 顎に指を掛けられると、関平は自分からそっと体を男に預け、瞼を閉じた。

 生まれて初めての、キス。
 唇が触れるだけだと思ったのに、離れそうになって縋るように唇が緩んだところへさらに角度をつけ深くくちづけられた。

「…」
 熱いくちづけの余韻にうっとり男を見上げている関平に、男が尋ねた。
「キスも初めてか」
 コクンと頷く。
「俺が初めてでよかったのか」
「いいです。僕、オジサマのこと、好きだから」
 二度は敢えて。この言葉を使うことで、自分の何かで、この人との関係を繋ぎ留められるのならば。
 ところが男は苦笑して言った。
「オジサマ、か。どうせなら援交らしく‘パパ’とか呼んでみろ」
「パパ?!」
 ‘オジサマ’に輪を掛けて恥ずかしい。
 その様子を見て男はふふん、と満足気に笑った。
「お前はそうやって恥ずかしがってる顔が一番そそるな」
「うぅ…」
 そして羞恥に俯いた顎を掬い上げるように再びくちづけられた。

 深く吸われる。
 咥内に舌が潜り込んできた。
 何も知らない関平にひとつひとつ教え込むように、誘うように、舌が舌に絡められた。
 二人分の息遣いと躊躇いがちな自分の喘ぎ声が甘ったるく室内に溶けて消えてゆく。
 関平はくちづけに応えたい一心で懸命に男の愛撫を真似た。
 しかしすぐに脳が酔い始める。
…あ、あ…もうおかしくなっちゃいそうだ…。
 気持ち良すぎて全身が脱力していく。
 膝から崩れ落ちそうになったところを、寸前で抱き留められた。
 飲み込めなかった唾液がとろりと顎を濡らしたが、それを拭うこともできないまま関平は潤んだ瞳で男を見上げた。
「…」
「…平」
「ん、っ…」
 耳の中に言葉を直接注ぎ込まれ、肩がぴくぴく跳ねた。
「次は明後日、金曜の18時だ」
「は、はい…」

 男は、熱に浮かされたように足元をふらつかせながらそれでもなんとか立ち上がって帰ろうとする関平の腕を掴んで引き止めると、手の中にがさがさする何かを握らせた。
「忘れ物だ」
 何のことかすぐにわからず掌を開いてみれば、諭吉。しかも5人も。
「ええっ?!嘘、またこんなに?多すぎます、もらえません!!」
「明後日の分まで先払いされたと思っとけ。…必ず来いよ」
 男が真顔で念を押したその鋭い視線に、背筋がゾクリとした。



 男にもらった小遣いの額は、新聞配達と土日の食堂のアルバイトで関平がひと月に稼ぐ額に、このたった二日で届く勢いだ。
 布団の上で大の字になったままぼんやり考える。
…こんな、こんなのって、やっぱりいいはずがない。
 かと言って唇をたやすく明け渡してしまうほどこんなにも好きになってしまって、‘同’性間不純交遊だからもう逢えませんなんて言えっこない。
 ゴロリと横になり、自分の唇を自分の指でなぞった。
「…」
 くちづけを、頭の中で反芻してみる。
 熱い吐息と、舌遣いと、葉巻の匂いを。
「ん…」
 身体が熱くなる。切ない甘い疼きに眉を寄せ、身をよじった。いけないと思いながらも熱くなった体に、自分の体の中心に手を這わせてしまう。
「オジサマ…」
 想像の中のあの人が「パパと呼べ」と囁いた。
「パパ…」
 それからあの人は痺れる低い声で「平」と呼んでくれて、キスだけじゃなくてもっといろいろ−関平がまだ同級生の話で聞いたことしかないようなこと−をしてくれて…。
「アッ、だめ…」

 自分の手を濡らした白い液体にしばらく茫然とし、すぐにがっくり落ち込んだ。
 自分の身体を触ってこうなったのは初めてではないが、相手に男を想像したのは正真正銘初めてだ。しかも、あの人で、果ててしまった。
「…」
 途方もなく申し訳ない気持ちでいっぱいになり、乱暴にティッシュで手を拭うと布団を頭から被り涙目を強引に閉じた。



 翌日の関平は授業中も弁当の時間も、一日中ぼんやりしていた。
 ぼーっと上の空でいたかと思うと、急に頬を赤らめて悶え出したり頭をブンブン振ったり。明らかに挙動不審だ。
「…お前、せっかくオレが忠告したのに」
 ついには呆れ顔の劉封にため息をつかれた。
「なっ、何のこと…」
「ごまかせると思ってるのか?関平、相手はどんな男だ」
「…」
 もちろん関平だって劉封相手にごまかし通せるとは思っていない。仕方なく渋々関羽という男について知っているだけを話した。

「デートだけで3万?!お前よくそんなにせしめたな」
「せ、せしめたってそんな、人聞き悪い言い方しなくても」
「二日続けてってことは昨日はついにヤラセたのか?それで幾らだ?」
「ちょ、ちょっ、劉封、声が大きいよ!だいたい…そんなコトしてないし」
「だって二日めまでデートだけなわけないだろうが。幾らだ?」
「…キ…」
「ん?何だって?」
「だから、キスして、5万…」
 劉封は飲んでいたペットボトルの水をぶッと大袈裟に噴いた。
「すげ。しかもお前、そのオッサンにマジ惚れ?…もうこれは何とかしがみついて愛人にでもなるっきゃねぇんじゃねぇの?」
「愛人…」
 想像するだけで恥ずかしくて体が熱くなる。
 頬を染めて恥じらう関平に「照れんな」と劉封の的確なツッコミが入った。
「…ま、同じ相手に続けて会う時はとにかく飽きられないように多少こっちからも積極的に行ったりすりゃいいんじゃね?」
「積極的…ってどんな?」
「そんなの自分で考えろよ」
 中途半端なアドバイスの後、半ばうんざりした様子で劉封は「じゃな」と去って行ったのだった。



 待ち合わせた部屋に息を切らしてやってきた関平は、直ぐさま男の胸元に閉じ込められた。
 互いに視線だけを交わすと吸い寄せられるように唇を重ねた。
 気付けば関平は遠慮も恥じらいもすっかり忘れて男にしがみつきキスをせがんでいた。
「…一体どうした」
 我を忘れた様子の関平を面白がって男が尋ねる。
「…オジサマに、」
「パパと呼べ」
 まるでデジャヴかと思うぐらい、あの日の関平の妄想にそっくりの口調で男が言った。
 ゴクリと唾を飲み込んで言い直す。
「…パパに、会いたかった」
その言葉に男は褒美だ、ともう一度関平の唇を音を立てて啄んだ。



 全身に一糸纏わぬ姿で不自然にパリリと糊付けされたシーツに横たえられ、胸の尖端を男の舌先がくすぐった。
 それまで何とか堪えていた声が、抑え切れなくなる。
「んっ、んっ、や、嫌だ…」
 身体の芯がじゅわ、と熱くなる。
 反対の胸の蕾は優しく摘まれ、男の器用な指先が臍の奥までをも弄ると、こそばゆいような切ないような関平にはどうにもできない淫らな感情が沸き上がってくる。
「嫌なわけがないだろうが。自分で脱いでおいて」
 男が楽し気に揶愉した。
「だ、だって…」
…絶対に、劉封に「積極的に」って言われたせいなんかじゃない。
 自分で自分に言い訳する。
…パパに、見たいって言われたから。


 耳元や首筋までキスされた後で男に「次はどこにしてほしい」と言われた関平は、力の入らない指で制服のネクタイを外し自ら襟元の一つ目のボタンを開けた。
「…パパ…」
 じっと見詰めたまま動かない男に恥じらいながらねだる。
 呼びかければようやく待ちに待ったそこに新たなくちづけが与えられるが、しかしすぐに唇は離れてしまい再び「次はどこにしてほしい」と言われる。
 それが何度か繰り返されるうちに結局関平自身が男の愛撫をねだって上半身はすっかり裸になってしまった。
 肌を被うものがなくなって初めて思い出したように恥ずかしさが込み上げてきて、モジモジ何となく体を隠そうとする関平にさらに男の低い声が告げる。
「もうこれでおしまいでいいのか?」
「…」
 小さく首を振った。
「なら、下も脱いで見せてみろ」
 
 
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