足ながおじさん2 |
えにしだ |
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明日から夏休みだ。学校指定の白い開襟シャツがじっとしていても汗ばむぐらいに、夏らしい暑い日が続いている。といってもこの制服に袖を通すのも今日で最後だが。 関先生の言った通り、僕は一学期の終業式に合わせて転校することになった。結局三ヶ月しか通わなかったこの学校にも特別別れを惜しまなければならない程の友もなく、例のごとく無難な言葉が書かれた色紙をもらってとりあえずありがとうとは言ったがそんなに嬉しくもなかった。それよりも忙しいはずの関先生が、終業時刻に合わせて学校まで迎えに来てくれたことが何より嬉しい。校門の前で級友たちに手を降ってレクサスに乗り込みながら、このカッコイイ人が今日から僕のお父さんなんだとみんなに自慢して回りたかった。 「…どうした、平。やけに嬉しそうだな」 えへへと笑って言う。 「…先生が、迎えに来て下さったから」 先生の目元はサングラスのせいで見えなかったけど、ニヤリと満足気に歪んだ唇に僕も満足だった。 それから二人で昼ご飯を食べて僕の少ない全財産を載せた引越し業者の軽トラを見送ってから、僕たちの家になるところへ向かった。不安よりもワクワクする。関先生と、毎日一緒にいられる。もちろん先生は忙しくて帰りは遅いだろうし海外出張だっていっぱいあるんだろうけど、僕には先生に一番最初に『おかえりなさい』を言う特権がある。先生は僕にきっと『ただいま』って言ってくれる。家政婦さんがいるって言ってたけど、僕だって先生の好きな物を作ってあげよう。先生が食べてくれるんなら毎朝お弁当だって作ってもいい。それから、それから…。 そのあと、マンションの前で先生に揺り起こされるまでの記憶はない。 家政婦は家政夫だった。たしかにカセイフはカセイフだけど…ってつまり僕が頭の中で勝手に先生ん家に市○悦子か泉ピ○子みたいなオバチャンを出演させてただけで、実際に先生ん家にいたのは若い男の人だったのだ。廖化さん、19歳。家政夫歴一年半、得意料理はオムライス、好きなテレビ番組は純愛ドラマ。…よし、覚えた。 彼は僕を見て弟みたいだとホントに喜んでくれた。今日だけ特別にと先生にお願いして三人一緒に夕飯を食べながら、料理を教えてもらう約束と週末に買い物に連れて行ってもらう約束までした。…実は僕にとっては初めての友達らしい友達だ。体が弱くて家の事情が複雑…というよりは不幸だった僕は、何となく誰ともとりわけ親しくなることがなかったためで。僕としては友人を拒否していたわけではなかったが、どう接していいかわからないという態度さえ隠す術を持たない級友たちに彼らのココロの壁を乗り越えてまで近付く気にはならなかっただけだ。 そんなわけで初めてできた友達に些か興奮気味だった僕は、関先生の様子がなんだか違うことに気付きもしなかった。 「…平、服を脱げ」 「…え?」 廖化さんが帰ると、関先生は野球のナイター中継を消してそう言った。 「な、何…」 「服を脱げ」 先生は同じ語調で繰り返す。先生が僕にヨメに来いと言ったあの日の夜以来、思い出しもしなかった例の不安が再び僕の中で暴れだす。僕が動けないでいると先生は静かに手招きした。 リビングのソファーはとても大きくて二人で座ってもびくともしない。先生は隣で身をすくませる僕に苦笑いしながら「…取って喰おうとしてるわけじゃない。ほら、傷跡見せてみろ」と言った。 「あぁ、そういう…」 あからさまにホッとした顔をしていたのだろう、僕は。先生はまた意地悪くニヤリと笑うと「期待したのか?悪かったな」とのたまった。 …だんだんわかってきた。関先生がどういう人なのか。開襟シャツの前ボタンをすべて外して関先生に胸元を晒しながら僕は考えた。関羽雲長という人は外ではどうだか知らないが、少なくとも僕の前では悪戯(意地悪?)好きな子供みたいな大人で、優しいくせにどこか自己チューで、でも僕のことを愛してくれているらしい。僕が他にも関先生を形容するいい言葉はないかともの思いにふけっていると、左胸の傷跡に温かい呼気を感じてドキリとした。 「…何を考えていた」 問いただす先生の声がいつもより低くて、体が熱くなる。喉の奥に言葉が貼りついたままうまく出てこない。 「…せ、先生のことを…」 自分の胸元に近付けられた先生の頭を見下ろして僕はさらにドキリとした。先生の、唇が。 「…あ、あ…」 抑え切れずに干からびた喘ぎが零れた。 先生が、僕の傷跡にくちづけている。唇で、傷跡を上から下まで丁寧になぞる。 ど、どうしよう。 僕の心臓がとくとく跳ねる度に、先生の緩く開かれた唇の間から覗いている舌先の感触まで感じてしまう。先生は僕の傷跡に唇を押し付けたままじっとしていて、いつまで続くのかわからないこの耽美な拷問に焦れて僕がもうやめてと言おうとしたその時。不意にあっさり唇を離して淡々と言った。 「一分間に98から106か。…痛みはないな?」 理解するのにしばらく時間がかかった。 「…!!」 なんで、こんな…、今のは脈を診るために?!脳みそ沸騰寸前の僕に対して先生は顔色一つ変わらない。 「この程度の負荷では痛みは出なくなったんだな。ふん、俺の腕もなかなかのもんだな」 揚句に自画自賛。確かにおっしゃるとおりですけど!!ひとり変なキモチになっていた自分への照れと、冗談が過ぎる先生への怒りで顔を真っ赤にしている僕に、さらに追い討ち。 「さっきのイイ声、もういっぺん出してみろ」 ニヤリと笑ったその頬をぶったたいてやりたいと思ったことは、とりあえず先生には内緒。 |
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