足ながおじさん3
           えにしだふう様 ご投稿作品
 
 
 その日の晩は荷解きが間に合わなくて、僕は僕のために空けてもらった部屋ではなく関先生の大きなベッドで一緒に眠ることになった。床にでも寝られるから大丈夫だと言ったのだが、先生は風邪ひいて発作が起きることだってあると脅すので仕方なく。本当は関先生の手術のおかげでもうしばらく発作なんて出てないのに。
 先生と同じ部屋同じベッドは、正直不安だ。考えすぎなのかも知れないけど、僕の胸元にくちづけておいて脈拍がどうのとかそんな悪い冗談を好む先生のことだから僕が怖いと思ったって大袈裟じゃないはずだ。

 僕は先生の、なんなんだろう。先生がお風呂に入っている間に広いベッドの上で一人考えた。僕は先生の何になればいいんだろう。先生にとってお気に入りの、養子?世間的にはそれが一番フツウなはずだけど。まさか愛玩動物的なお気に入り?いやいや、先生はもっと僕を大切にしてくれている。そんなの今日一日一緒にいただけだってわかることじゃないか。僕は先生に心の中でそっと詫びた。…でなければ、やっぱり妻、として?だいたい先生の『ヨメに来い』発言が冗談か本気かが僕にはわからない。もし、もしも、本気だったら。

 …どうしよう。困る。

 決して嫌ではない。そこまで僕を愛してくれるのかといううれしさもないわけじゃない。だけど、じゃあ何もかも、身体さえも先生に委ねることができるのか…僕にはわからなかった。僕だって一応健全な男子高校生だし性についての知識もフツウにある、と思う。今までご縁はなかったが男と女がすることはどんなもんかは知ってるつもりし、自分がそうなる予定はなかったけど男同士で身体を繋げる方法だって聞いたことぐらいはある。(それを初めて聞いた時はちょっとおぇっと思ったけど。)知ってるかどうかと自分が、ってのは全く別だ。…だけど、だけど先生が僕にいきなり脱げと言った時も胸元に唇を這わせてきた時も、戸惑いはしたけど嫌だとは思わなかったのも本当だ。…僕は、先生と、そうなってもいいと思っているのだろうか…?
 答えが出ないまま先生がバスルームから戻ってきてベッドの上で所在無く体操座りをしている僕を見て笑った。笑うだけならまだしも「初夜らしく三つ指ついて迎えんのか」とか言うので、やっぱり先生は僕をペットみたいにからかいたいだけかもしれない、とついさっき心の中で先生に謝ったことを盛大に後悔した。



 ヒトはパートナーに自分と遺伝子情報が遠い相手を無意識に選ぶらしい。遺伝子が遠い人の体臭を心地良く感じるというのだ。僕が先生の匂いを心地良く感じるのは、先生と相性がいいってことなのだろうか。確かに、優秀さと格好良さと理解できない悪戯好きの性格を考えると遺伝子的には僕とはめちゃめちゃ遠そうだ。…もっとも匂いで無意識に相手を選ぶのは異性間のことらしいが。
結局僕の心配は今日のところは杞憂に終わった。先生はそれっきり僕が反応に困るような冗談は言わなかったし、僕がシーツの中でそっと先生に寄り添ってみても素知らぬふりだった。…よかった。先生はまだ僕の先生で、お父さんでいてくれてる。先生にもらった命なのに先生のモノになる覚悟が未だ決まらない優柔不断な僕は、隣に眠る先生の暖かさにすっかり油断して意識を手放した。



 夢をみた。
 もう何度もみたことのある夢。僕は何もない空間にぽっかり浮かんでいた。独りっきりで、でもそれが特別寂しいとは思わなかった。違う、寂しくなかったんじゃない。今までは知らなかっただけだ。誰かの暖かさを。だからほら、今日はいつもと違う。だってなんだか肌寒い…。
「…ん…」
 薄ら寒さに目が覚めた。ここがどこか、よくわからない。ああそうか、僕はもう関先生ん家の子になったんだった。そんで昨日の夜は一緒に眠って…んで、なんでこんなに寒い?
 脇腹に何かが触れて「ふわっ?!」ゾクリとした。おかしな叫びを上げてしまう。おかげで頭は多少はっきりしたが。
「先生!!何やってんですかっ」
 僕の声が非難めいていたとしても僕に罪はないはずだ。だって先生は眠っている僕から掛け布団を引きはがし勝手にパジャマ上着の前を全開にしていたのだから。
「わ、やだ、やめて下さい!」
 また悪意満々の脈診をされるのかと暴れようとしたがそもそも寝起きではまともに体の力は入らず、先生にぐいと両肩をシーツに押し付けられて身動きが取れなくなった。先生は何も言わないまま左胸の傷跡周りを眺め、僕の手首を拾いあげると全く普通に脈をとった。…昨日だってこうやって普通に調べてくれたらよかったのに。むくれたって気付いてさえもらえない。
「…まあ普通だな」
 先生はさもどうでもよさ気な口調で言った。当たり前だ。昨日だって先生がおかしなことしなけりゃあんな新生児みたいな脈拍数が出たりしない。先生は今度は起きて背中を見せろと言った。僕はちょっとムッとしたまま従う。パジャマの袖を抜いて背中を晒す。まだ明るくなりきっていない早朝の空気は七月とはいえひやりと涼しく、僕はそっと体を縮こめた。先生は僕の心臓の裏側、背中の真ん中左寄りにそっと触れて、…触れて?
「ちょっ、やめ…先生!また?!」
 指先で触れている感触ではない。自分の背中だから見ようったって見えないが 、これは唇の感触だ。僕は身をよじった。だってなんだか…へ、変な感じ。
「や、や、…」
 何か言おうにも背中を駆け上がるゾクゾクする感覚に声が段々小さくなってしまう。先生はその場所をきつく吸っているようだった。僕にはそれが何のためなのかわからない。ただちくりとする僅かな痛みにますます身をすくませて先生の気が済むのを待つしかなかった。
 ようやく先生が解放してくれた頃には僕は半泣きで、またそれを見て関先生は笑った。
「…誰のせいだと思ってるんですか」
 精一杯の怨み節にも全く堪える様子はない。
「そう怒るな。マーキングしただけだ。悪いが俺はこれから出張だからな」
「え?!な、何日間ですか」
 不覚にもマーキングについて追究することも忘れた。
「これが消える前にはもういっぺん印を点けに帰って来てやる」
「一回帰ってきてまた行っちゃうんですか?」
 先生の返事はなく、僕をベッドにとり残したままさっさと着替え始めたがそれは肯定の意なのだろう。
「…」
 わかっていたはずなのに、無性に寂しかった。仕方のないことなのだ。こうやって忙しく働いている先生がいるから僕のように救われる命がたくさんあるのだ。俯いていると、先生が僕の頬をつっとなぞり言った。
「廖化が毎日来る。休み中はお前に家庭教師もつけたから好きなだけ勉強しろ」
「…はい」
 ド田舎の県立高校から都心の一流私立への転校にどうしたってそれが必要だってことは僕にもわかる。沈む気持ちをぐっと堪えて僕は先生に言った。先生のところへ来ると決めた日に、これだけは何があっても必ず言おうと自分に誓ったから。
 『いってらっしゃい』が今生の別れになることがあるってことを、僕は知っているから。
「…どうか、お気をつけて」
 先生は頷いた。
 
 
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