足ながおじさん5
           えにしだふう様 ご投稿作品
 
 
 趙雲先生は、生徒の僕がそれとわかるほど有能な教師だった。
 先生は、僕の中でわかったつもりではいてもその実あいまいだった定理や公式を見事にあるべき様に並び替えてみせた。しかも僕が わからなかったり間違えたりする事を、僕の頭の中を覗き見たんじゃないかと思うほど何をどう間違ったか言い当てる。
 この人はすごい。
 いくら田舎者の僕でも、都会の予備校教師がみんな趙先生みたいなんじゃなくてこの人が特別なんだとわかる。
 僕は夢中で課題に取り組み、廖化さんがいつの間にかこっそりスーパーから帰っていたことにも気付かないほどだった。

 趙先生にやたらと褒められて気分を良くした僕は、先生が帰った後も僕の夕飯を作ってくれている廖化さんの横で課題を解いていた。じゅうじゅう幸せな音を撒き散らすフライパンにご飯が炊ける匂い。鼻唄混じりにキッチンに立つ廖化さんがご機嫌なのを確かめてから僕は何気ないふりを装って尋ねた。
「…廖化さんて、趙先生と知り合いなの?」
 ビクッと振り返る。…あー、やっぱりなんかあるんだ?
「な、なんで?」
 突っ込んで尋ねてよいものか迷うほどわかりやすい反応だった。
「なんでって…何となく」
 問い詰めるとか白状させるとか、僕はすごく苦手だ。ってか向いてない。そのまま二人して言葉を捜してしばらく沈黙が流れた。
「実はさ…」
 その後鶏の照り焼きをぱくついているときに、廖化さんがポツリポツリと話し出した。
「オレ…昔劉社長ん家で働いてた時にあの人にフラれてんだよね…」
 お箸を落としたりご飯を喉に詰めてむせたりしなかった僕を、誰か褒めてほしい。
「そ、そーなんだ」
「あの人ってさ、爽やかだし余裕あるし憧れの大人って感じじゃん?」
 今日僕が思ったこととまるっきり同じで冷や汗が出た。
「オレあの人だったら男同士でもいいかな〜とか思っちゃったんだよね」
「あー…」
 何て言えばいいか全くわからなかった。
「結局カレシいるからってフラれちゃったんだけどさ、あの人あんなにカッコイイのに彼女じゃなくて彼氏って!!」
 廖化さんはばん、とテーブルを叩いた。
「それは確かに納得いかないかも…」
「でしょ?!んでさ、嘘でいいからオレのこと好きって言ってって頼んだのに『嘘でも軽々しく好きとか言えない』って…」
と大袈裟によよ、と泣き崩れる。
 …ん?ちょっと待て。
 趙先生、今日僕に言わなかったか?その…す、す、好きとか…。
「ね、平くんもヒドイと思うでしょ」
「あー、まぁ、うん」
 あいまいに相槌を打ちながら、次に趙先生の真っ直ぐすぎる瞳に捕まった時はどうしたらいいんだろうと僕は思案した。



 夜。関先生のお家なのに関先生はいなくて僕は一人っきりだから広すぎて静か過ぎる部屋に押しひしがれそうになる。寂しさを紛らわそうと先生のベッドに潜り込んだ。
 不思議なものだ。たった二日前まで平気で一人で眠れていたのに、今はもう先生の匂いが恋しくてしょうがない。
「先生…」
 こっそり呟いてみても返事が返って来るはずもなく。涙が出る前に寝てしまうことにした。
 結局その次の日も僕は関先生のベッドで眠った。どんなに頑張ってお風呂で身体をゴシゴシ洗っても、日ごとにベッドは先生の残り香が僕自身の匂いに塗り潰されていく。それがたまらなく嫌でまた切なくなった。誰も見やしない僕の背中なんかじゃなくて、こういうとこにマーキングしといてくれたらいいのに、と辛うじて先生の匂いが残る枕を抱えて僕は寂しさを理不尽な怒りでごまかした。…廖化さんに先生が帰って来るまでこの枕干さないでって言っておかなくちゃ。
 先生にいってらっしゃいしたのが金曜の朝。今日が土曜日で、先生からのメールには月曜に帰るって書いてあった。ってことは明日一日なんとか過ごしきれば、先生は帰って来るわけだ。そうだ、僕が先生にしてあげられることは『おかえりなさいっていうあったかい雰囲気』だって廖化さん言ってたじゃない。月曜には廖化さんにオムライス教えてもらって先生に作ってあげよう、いや、きっと先生はお疲れだから先にお風呂に入りたいかも。
「あなた、お食事にしますか?それともお風呂ですか?」
 まるでベタなコントみたいだ。ベタならその次は。
「…それとも僕?」
 フリフリのエプロンでシナをつくる自分を想像して布団の中で身もだえした。激しく恥ずかしい。恥ずかしいが…先生が喜んでくれるのならやぶさかではないとも思ってしまう馬鹿な僕。そんなガラでもないことホントに出来るかどうか怪しいが、このくだらない妄想に満足した僕はとりあえず寂しさを忘れることには成功したのだからよかったと思うことにする。
 
 
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